この記事で分かることはこんなことです
前回の続きです。
私の転職動機を振り返っています。時とともに転職の動機も移り変わるものだということを記事にしながら感じています。
1度目の転職は無事に成功し、大手ITベンダの九州支社で営業として勤務することになりました。
2社目の会社は日系大手
会計の勉強を大学生の時にしていた(簿記の資格も持っていた)ことが功を奏し、ERPパッケージ(企業の基幹システムですね)の経理システムの営業担当として入社をします。ここからが本当の私のキャリアスタートとなりました。
ERP製品担当を経て、大手企業向けのアカウント営業(顧客対応型営業)として経験を積みます。地方の営業担当はお客様の望むものは何でも提案しないと業績は上がりません。
ITといってもひとえに色々な分野があるのですが、私はインフラ関連(サーバーとかストレージとか)を中心にミドルウェア、業務系パッケージソフトウェアからセキュリティ商材まで、この時代はありとあらゆるものを提案した記憶があります。
所属していった支社では最重要顧客を任され、業績は最後の方はTOPでした。(そりゃ、最重要顧客ですから当たり前です)
そこでITにまつわる幅広い知識を吸収します。広く浅くは提案ができるようになりました。ですが、自分の専門分野を確立できていないことが大きな課題となっていました。
当時は仕事の傍ら英語の勉強にも力を入れていて、TOEICなどの資格取得は勿論、英会話スクールにも通っていました。ITの専門分野の確立と合わせて語学力も強みにしようと思っていました。
お陰で選抜制の海外研修にも参加させてもらったり、良い経験を積ませてもらいました。
専門性を養いたいということで、ネットワーク分野の製品担当者として東京の本社に転勤をします。海外(アメリカ)の製品を販売代理店契約をして、それを国内に広めていくという新商圏の立ち上げ担当をさせてもらい、この時期は英語も使う業務で個人的な望みは達成することができました。
とにかく2社目に入ってからは、出世したいという気持ちが非常に強く、相当自分を殺して無理して働いていたと思います。
これまでの挫折を払拭したいというプライドが異常に強かったんですね
この時期には後輩の育成担当も何度も経験し、ある程度後進育成についても学ばせてもらったと思います。
そんなこんなで東京で仕事をすること2年、東京の本社にいれば会社全体の動きも見えますし、会社の将来性にも敏感になります。どちらかというとゆるい社風の会社で、好みの人には楽勝な会社だったかもしれません。
ただ、当時の私には物足りなさがあり、会社の将来性にも不安を感じていました。
3社目は外資系(米国)大手
その当時30代半ば。キャリア的にも悪くはなかったため、さらなるキャリアアップのために転職を考え始めます。その時の私の転職軸はこちら。
★有名企業
★年収1千万円以上
★アカウントセールスができること
★高級な仕事(いわゆるITで言うところの上流業務)に携わることができること
どうでしょうか?前回の記事の1回目の転職の動機とは大分違います。前回よりも要らぬプライドが漂っていますね(笑)
とはいえ、全ての条件を満たす会社に転職することに成功します。初の外資系ということもあり、色々と入社時に不安なことは確認して、自分の中では納得して入社しました。
複数のソリューションを持ったアカウント営業担当というポジションで入社をしました。(あまり書くとどこの会社かバレるのでこのくらいで(笑))
入社してしばらくは良かったのですが、途中からグローバル規模での組織大改編が敢行。改編と同時にいやおうなしにリストラの嵐が吹き荒れます。少なくとも10%以上の社員がクビになりました。
クビはないって聞いてたのにぃ~(汗)
外資系の怖さを垣間見ます(笑)
仕事の量は従来の2倍以上に。当然バジェット(ノルマ)も2倍以上に。(笑)しかも全く経験がない仕事です。リストラプログラムがひと段落してもこのような状況ですから、更に自主退職で去る社員が続出します。(入院や精神疾患の方も・・・)
私も超絶業務量が増え、社内は相当ギスギスになっていました。とにかくあまりにも激務過ぎてこのままでは死んでしまう、、、、と思った私はキリの良いところで退職することにしました。
この会社で働いていた時も含め、ずっと家庭を犠牲にしてきました。豊かになるために仕事をしているのに体はボロボロ、家庭も大切にできない、そして心の支えだった娘(ワンコ)も天国に旅立ちました。
心身ともに満身創痍状態でした。今でも一時期の間の記憶がおぼろげです。
在職中は転職活動など全くできなかったので、ひとまず辞めてから考えようということで、大学卒業時以来、またまためでたく無職となったのでした(笑)
4社目はまた日系大手に
つい最近再就職を果たしましたが、転職活動期間は4か月程度でした。このブログでは今後私の転職活動で培ったノウハウを公開していく予定ですが、4社目の転職(つまり3回目)の転職が一番厳しかったです。
離職期間はそれほど問題にはならなかったですが(無職期間の説明についてもゆくゆく記事にします)、ジョブマッチングが相当シビアで大変でした。
能力が仮にあったとしても、企業が望むポジションに合致していないと採用までたどり着くのは難しいんですよね。仕事探しはお見合いとはよく言ったものだと痛感しました。
ということで、これまでの経験と反省を踏まえ、3回目の転職で私が重視したポイントはこのようになります。
★日系大手企業であること
★就業環境が安定していること(いわゆるホワイト企業の条件がそろっている)
★将来性のある仕事内容
★年収は下がってもよし。働いた分もらえればよい。
★副業が認められていること
なんだか条件が増えていますが(笑)年を取るっていやですねぇ(笑)今後のIT業界の行く末を考えると(あくまでわたしの基準として)大手企業であることは外せませんでした。これは、IT業界というのは、規模の経済の原理と同じ力が働きやすい業界だからです。(一部Web系除く)
私の年齢であればたくさん応募した方がよいと、担当キャリアアドバイザーから言われましたが、やっぱり興味ないところは受験したくない(笑)ということでかなりピンポイントで受験していました。
辞めた前職の外資系企業からもいつ戻ってきてもいいという言葉を頂いていましたが、本当にそれは最後の最後として保留しておきました。
私の前回の転職活動としては、
①日系大手⇒②外資大手⇒③日経中堅⇒④外資中堅及びベンチャー企業
の順番で受験する予定でしたが、何とか日系大手から内定を頂き、将来性のありそうなビジネスに関与させて頂くことになりました。
現職に転職するときは、30代後半という年齢、家庭を大切にしたい、時代の流れもあり、会社員にプラスαの選択肢(副業など)も考えていきたいという思いがありましたね。
今までがむしゃらにキャリアを追求してきた以前の私とは大違いです。
老後も海外移住して生活したいという思いも出てきていて、自分の将来設計ができる会社(ちなみに現職の会社も私が移住したい地域に関連会社があります)で働きたいという動機がこれまでの私にはなかった新しい動機です。
この年齢である意味会社という存在について自分の中でこれまでと違った再定義がなされたように感じます。
勿論仕事を通じて会社・社会に貢献したいという気持ちはありますが、もっと自分の人生を豊かに、多様な選択肢を考えられるような環境を手に入れたいと思っています。
最後に
ということで、私のこれまでの大まかな職歴と転職の軸について綴ってみました。こうしてみると、人生のライフイベントや時代の流れ、個人的な価値観の変化により、転職軸も随分と変化していることに改めて気が付きました。
今後はより具体的に、その時その時の転職のタイミングで私がどのように内定を勝ち取ったのかという情報を発信していきたいと思います。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。
まとめ
-就職氷河期最終世代の4年制大学卒
-大学卒業後、いきなり無職
-1社目のベンチャー企業でなくなく詐欺まがいの営業に手を染める
-2社目の日系大手で経験を積むも、夢を見て転職
-3社目の外資系大手では色々なことが重なり、心身ともにボロボロになりリタイア
-またも無職に
-副業もでき、サラリーマンだけに囚われない視点で4社目の日系大手に勤務中
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