プロフィールとブログ開設の主旨(転職を検討されている皆様へ)

本当に辛かった就職氷河期

にっこりチキ
にっこりチキ

初めまして。チキと申します。

1981年生まれ。東京都在住です。現在は大手日系IT企業にてセールス職として従事しています。

私が大学生の時は「ロストジェネレーション」失われた10年と言われた未曽有の就職困難時期でした。そういった時代背景もあり、地方の私立大学の経済学部に在学中より難関国家資格にチャレンジして仕業を目指していましたが敢えなく失敗。大学卒業時には無職という素晴らしい経歴から社会人をスタートしました。

無職でアルバイトの傍ら、第二新卒枠で就職活動を開始します。当時はインターネットバブルと言われていた時期でもあり、何とかインターネット系のベンチャー企業に内定を貰い社会人活動をスタートさせました。

めでたく就職した会社は超絶ブラック企業

その会社は毎月100人入社し、3ヵ月後には10人しか残っていないという超絶ブラック企業で、毎日深夜帰宅の土日無しという生活が続きました。

業務中に泣き出したり、倒れたり、急に会社に来なくなったり、職場は毎日怒声が飛び、灰皿が投げられ机は蹴られ、、、、なんて日々が日常茶飯事でした(笑)

このままではまずい、と思い、管理職になってから辞めてやる!と決意します。

そこからは仕事は割り切って成果を出し、同期の中で最年少で管理職に昇格。職務経歴書に書くための実績だけ残し、早々に退職をしました。

ブラック企業からようやく脱出成功したものの試練は続く・・・

在職中に転職活動をしており、大手の日経IT企業へ同じく営業職として転職に成功します。地方拠点の営業職であったため、特定プロダクトの製品営業ではなく、アカウント(顧客対応型)営業としてキャリアを積みます。



当時はITの「あ」の字も分からない始末。勢いだけで会社には中途入社でもぐりこんだものの、業界用語が全く分からず、ここから辛く厳しい本当の冬の時代が到来します。



業務内容も会話も全く理解できず、多分100回以上は辞めようと思っていました。また大手企業にも関わらず、一時期は相当ひどいパワハラにもあいました。

ITのある入門資格を勉強したことを期に、少しづつ仕事が理解できるようになります。その後は何とか支社のキーマン営業として活躍できるまでになりました。また当時旅行した韓国のデパートで、英語が通じないことを店員さんにバカにされ英語の勉強を開始します。

その後、英語を使ったグローバルな仕事がしたいという希望から、同社の本社(東京)に転勤をします。配属先では、米国製のIT製品の代理店契約を締結して、日本国内マーケットに販売する体制を作る仕事に携わります。英語でプレゼンしたり、新しい仕組みを作る事は楽しかったです。

しかし、2年で飽きてしまいます・・・・仕組みが出来れば担当者は誰だっていいということに気が付いてしまったんですね。

外資系企業へ転職するもリストラの嵐・嵐!

そこで今度は大手の外資系IT企業へアカウント+ソリューション(コンサルティング)セールス担当者として転職します。その当時の心境は、この会社にいても未来が見えづらい、もっと自己成長したい、プロダクト営業ではなくアカウント営業に戻りたい、スキルアップ・年収アップを実現したい!などと思っていたと思います。

転職先の外資系企業は世間的にも有名な企業でした。長期就労する目的で入社したのですが、入社してしばらくたったころにアメリカ本社主導でWorldWideでの超大規模な組織変更があります。

あまりリストラはないと聞いていたのですが、組織変更のタイミングでいやおうなしにバサバサとリストラの嵐が・・・・幸いわたしは対象になりませんでしたが、多くの同僚が去っていきました。そして残ったわたしたちには膨大な仕事量が・・・・ただでさえ外資系はハードワークなのに仕事量は一気に2倍以上になりました。

当然、それに耐えきれずリストラ後も自主的に会社を去る人が出てきます。体を壊したり、メンタルを壊したり、色々な理由でさらに仲間が去っていきました。わたしは仕事の内容自体は誇れるものがありましたが、このまま働き続けることは不可能であることをそこで悟ります。

近々辞表を提出しようと決心していた矢先に体の方が先に悲鳴を上げてしまい、業務中に卒倒。。。救急車で病院へ搬送されます。もともと体は強い方なのですが、だめでしたね(汗)

検査の結果は異常無しだったのですが、このまま働き続けると待っているのは不自由な体か、死か、と感じていたので会社と退職交渉を始めます。数ヶ月に及ぶ交渉の結果、何とか退職することになりました。(ちなみに、今でもその会社からは戻ってきてもいいよ~とラブコールを頂いています(笑))

今まで、走って走って、競争社内の中で必死に戦ってきました。人よりも努力し、人よりも遊び、人よりも結果を出す。本来仕事というものは、安心して私生活を送るために行うものであると今になっては思いますが、体が言うことをきかなくなるまで酷使し、私生活や家族は犠牲にして、会社の往復はタクシーを利用してまで働いていました。

この企業で働いていた時に可愛い娘(ワンコ)の介護も必要になり、介護をしていましたがある時をして天国に旅立ちました。本当にこの時はショックで、心のダメージもかなり大きくなっていました。

この時初めて「仕事の在り方」「自分の在り方」とは何なのだろうということを考え始めました。

就労中は転職活動など行う時間は1分もなかったこともあり、退職後は自分を見つめるためにしばらく休養することにしました。

退職して小休止、仕事をする意味を考える

そこでゆっくりと自分に向き合い、仕事は何のためにするのかということについてどっぷりと考えを巡らせました。そこでたどり着いた一つの結論は

『仕事とは幸せに生きるためにあるもの』

ということです。私事(自分のこと)があって、仕事がある。自分や周りが豊かに、幸せにあるために仕事をする。だって、会社員であれば人生の大半の時間を仕事に費やすことになります。仕事をする本来の目的が幸せにつながることでないと、何だか悲しくなってきませんか?

苦戦した再就職

とはいえ、30代後半で半年の無職期間を経ての転職活動は予想以上に困難でした。今後ブログの記事にしていく予定ですが、わたしの転職軸の大きな一つに「大手企業」というキーワードがあったのですが、当たり前ですが大手のIT企業は日本でもそんなに多くはありません。

半年の無職期間というブランクを背負いつつも、上位層の会社から受験していきました。結果、大手の国内企業に内定を頂き、無事に転職活動を終了させることができました。現在はその会社に在籍しています。

これまでの自身の転職活動経験を振り返ってみると、色々な友人から転職活動のアドバイスを求められることが多く、ありのままを伝えることで周囲の転職活動も成功を収めていました。職務経歴書の書き方、面接対策などもアドバイスを求められ、自分にできることは助言させて頂きました。

このブログを開設するきっかけは、「これまでの経験が転職を検討されている方の役に立つかも」とふと思ったことです。

今後は転職に役立つノウハウから、社会や業界の動向、また幸せに生きるため人生論などを発信していきたいと思っています。

皆様の『天職』につながる転職活動の一助となればこの上ない喜びです。

まごころを持って記事を書いていこうと思いますので、興味を持っていただいた方はお読み頂けると幸いです。

2019年8月28日 チキ

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